番号 名 称 画  像 説     明







01
川崎土場
神社
住 所
(所在地)
字川崎 年代
川崎土場の神社は菅野家で、お不動を祭っていた。

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02
御保内駅逓所
(菅野駅逓跡地)
住 所
(所在地)
字川崎 年代 明治34年

本村の南端、南御保内(現川崎)に御保内駅逓所が創設されたのは、明治34年4月9日であり、真狩別~弁辺間道路の開削間近の時期であり、川崎農場が創設され、漸次農民の入植が行なわれ、一方、早瀬吉松が川崎土場に造材、流送の拠点を置いた時期で、現川崎地区の形成期であった。







03
地神碑  住 所
(所在地)
字川崎 年代 昭和4年頃
本村には開拓以来、四国出身者が多く、これらの人々の故郷での地神信仰が、そのままの形で入植地へ移され、心の拠り所となった。地神はジチンサン、ジガミサマと呼ばれ、大地を守護する土地の神として、崇敬されてきた。昭和4年建立の川崎の地神碑には、天照皇大神・大己貴命・垣山姫大神・蒼魂大神・少彦名大神の五神が刻まれている。







04
川崎神社  住 所
(所在地)
字川崎 年代 昭和4年頃

川崎神社は、主要道道豊浦京極線沿いの廃校となった川崎小学校グランド近傍に位置している。各集落共に地神とのかかわりがあるが、当社も地神碑とともに鎮座している。往時の祭典には草相撲が行なわれ、浪曲師も入り込み、映画も上映された。日照りが続き水不足になると「雨乞い」を神社前で碑を火をたき、祈願したと言われる。







05
馬頭観世音  住 所
(所在地)
字川崎 年代 大正6年頃
川崎神社敷地内に設置されている。馬は農家の財産であり、家族の一員であり、生活に中では欠かせないものであった。

馬頭観音或は馬頭観世音の石碑は、馬の息災を願いかつ、斃死馬を弔うために建立された。

馬頭観世音(馬頭さん)祭りは年に1回で、初午(旧暦2月の最初の午の日)の日か、8月16日に行なわれていた。










06
攝政宮殿下
行啓記念碑
 住 所
(所在地)
字川崎 年代
大正天皇の攝政宮(後の昭和天皇)
が北海道行啓されたのを記念して建立された。

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07
神里神社  住 所
(所在地)
神里 年代
神里は明治期に神戸団体の集団移民が入植し集落を形成した。昔時は8月か9月に祭典を行い、余興には弁辺方面から浪曲節語りや、留寿都からは手踊りの連中などが入り込み、子供の草相撲が行なわれた。村の開基百年を祝って平成6年9月に改築された。









08
地神碑  住 所
(所在地)
字神里 年代 昭和35年
祭神は、天照皇大神、少彦名神、
植安姫大神、豊愛姫大神

昭和35年
 
吉日神里部落一同と刻字されている。







09
陸軍特別
大演習碑
 住 所
(所在地)
字神里 年代 昭和11年
写真左側。
昭和11年天皇が本道を行啓され陸軍特別大演習が行なわれた際、秩父宮殿下が演習部隊とともに本村を通過すいたのを記念して、昭和11年10月7日に建設されたもので、御保内青年団第3区分団と刻字されている。

写真右側は開拓碑









10
二宮尊徳先生
幼児の像
 住 所
(所在地)
字加野 年代
御保内小学校敷地内に建立されている。
題字、子爵斉藤実書と刻字されている。

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11
法興寺  住 所
(所在地)
字加野 年代 明治39年

真宗興正派、
寺号公称 昭和22年7月23日

明治39年秋山淨諦師来道し、加野農場の一角に布教所を開設した。

昭和29年本堂を新築し、続いて、納骨堂庫裡を増改築して現在に至る。

歴代住職秋山淨諦、日傘亮慧、高木教重、口ノ上明願、山上緑樹、岡田了宣、西川命親、開基西川正信、二代西川教美









12
加野神社  住 所
(所在地)
字加野 年代 明治期

加野神社と地神さんは開拓以来、
この地にあった。

すなわち、日野農場地3反歩を寄付して
もらったことから、今日に及んでいる。

神社は八幡神で、例祭は9月14、15で
古くは石川熊太郎が祭文を読んだ。

青年相撲が盛んに行われた。鳥居は石造りで珍しい。








13
馬頭観世音  住 所
(所在地)
字加野 年代
写真右側。

古くから観音坂にあったものを、
昭和57年~58年頃、集会所敷地内に移設したものである。

馬頭さんお祭りは8月16日であった。







14
畜魂碑  住 所
(所在地)
字加野 年代
写真左側

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15
馬頭観世音  住 所
(所在地)
字豊川 年代
大広嘉市氏の建立された馬頭観世音の碑。







16
豊川神社  住 所
(所在地)
字豊川 年代
開拓当時、中村農場主から土地
五反二畝歩を無償で譲り受け地神碑
と共に祭祀している。










17
地神碑  住 所
(所在地)
字豊川 年代 昭和14年
開拓当時北3線と北4線の地神さんを
当時の中村農場主の土地寄付により
合祀したものである。

祭神は天照皇御神、大名将大神、
少彦名大神、埴安姫大神、農宇迦魂大神
である。

昭和14年9月講者一同世話人、
岡根庄次郎、合田庄吉と刻字されている。








18
紀元2600年
記念碑
 住 所
(所在地)
字豊川 年代 昭和15年
昭和15年紀元2600年式典を記念して、
豊川神社境内に建立されたもの。

昭和15年9月吉日、氏子一同と刻字されている。








19
見晴神社  住 所
(所在地)
見晴 年代

見晴地区の高台にあって、ふるさと讃岐の
三谷神社から原田伊三郎外1名が分神を
捧載して来たといわれる開拓者初の建物
で、老朽化が目立つが改修されつつ今日に至っている。

ご神体は「鏡」といわれる。

お祭りは7月31日~8月1日。

境内に狛犬一對があるが、地区の祀堂としては珍しい。








20
地神宮  住 所
(所在地)
字緑岡 年代 大正11年
大正11年緑岡の地神碑には、天照皇大神を中心に、少名彦命、埴安媛命、大己貴命、倉稲魂命の五神が刻まれている。

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21
庚申塚  住 所
(所在地)
字緑岡 年代 昭和3年頃
庚申(こうしん)とは、干支の一つで中国の
道教に由来するが、神道では猿田彦大神を祭り七種の神饌(しんせん)を供える。

仏家では青面金剛又は帝釈天を祭った路傍などに庚申を祭ってある塚を庚申塚と云う。

路傍にあることから、道路の標識としても利用されたと伝えられている。








22
母子の碑  住 所
(所在地)
字緑岡 年代 大正初年頃
大正の初め開拓の伐採作業中、誤って切り倒した大木の下敷きとなり、母親と少女を
亡くした。

家族は大変悲しみ、その霊を供養するため
建てたものと伝えられている。

石碑は人目のつかないひっそりとした草の
中にある。








23
桜川神社  住 所
(所在地)
字桜川 年代 大正2年頃
金比羅神社が祭祀されている御神体は
讃岐(香川県)から大正2年頃奉載
したと伝えられている。







24
細川たかしを讃える碑  住 所
(所在地)
字桜川 年代 昭和61年
歌手細川たかしが「心のこり」デビュー新人賞に続いて、レコード大賞V2を達成し、真狩の名を全国に広めた。

真狩後援会が中心になって建立したもので、「心のこり」「北酒場」「矢切の渡し」など
が刻字されている。

昭和55年村民栄誉賞。







25
地神碑  住 所
(所在地)
字桜川 年代
地神碑は大地を守護する土地の神として、崇敬されてきた。開拓当初は、岩石を据えただけのもの、或るいは古木などを建て、それ自体を祭祀の対象とした。地神碑は、自然石に単に地神宮と掘り込んだものと、高さ4~50センチの台座に、1メートルくらいの五角形の石柱を立てた碑が多い。







26
南部神社  住 所
(所在地)
字南部 年代

祭神は大神宮さんが祭祀されている。

初めは那須留蔵宅付近にあり、次いで山西一雄地先へ、その後木谷文雄宅地先、
現在は向山作太郎地内に移設されている。

祭りは7月25日に行われている。

肘木に彫りものが施されているが、本村在住久保田七右ェ門氏の施工である。








27
地神碑  住 所
(所在地)
字南部 年代
祭神は天照皇大碑と刻字されている。








28
馬頭観世音  住 所
(所在地)
年代 大正3年
大正3年発起人、五十嵐常治、久原勇
ほか30名が建立したものと刻字されている。







29
地神碑  住 所
(所在地)
年代
祭神は天照皇大神、太己貴命、
埴安媛命、少名彦命、倉稲穂命と、
刻字されている。







30
地神碑  住 所
(所在地)
落合 年代

地神祭は大正時代から社日に行われて
いる。

地神碑は当初木柱であったが、昭和17~18年頃、コンクリート造りとなった。

祭神は5大神といい、天照大神、大己貴命、少名彦命、倉稲命、塩安姫命である。

祭事は現在、真狩神社祭に合わせて行っている。

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31
馬頭観世音  住 所
(所在地)
落合 年代
所在地は落合集会所斜め向付近。

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32
旧富里駅
(跡地)
 住 所
(所在地)
字富里 年代
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33
歌碑・横内宝嶺  住 所
(所在地)
字富里 年代 昭和38年頃
碑文“開拓のかて分ち合う花束黄に”宝嶺

横内中太翁の記念碑で翁は明治27年4月、両親と虻田村に移住。同30年4月13歳のとき本村富里に開拓入植した。
農事に励み、信望高く、村職10期、農業団体等公職を歴任。
文芸の志篤く青蛙社を設けるなど本村歌壇の創始者で、俳句、短歌、書画など郷土文化発展の基を築かれた。










34
歌碑・新田汀歌  住 所
(所在地)
字社 年代 昭和35年

所在地は羊蹄山自然公園内。

昭和35年8月建立。

碑文 峰檗に暁光りさす閑古鳥  汀花
 
新田茂一氏の句碑で、氏は両親とともに明治42年本村字加野に開拓入植した。

大正9年教員となって各地を巡り、青年の教養を高めるため、読書作文が人間の情操美化として役立つことを悟り、交友を広め句集を発行した俳人でもある。
 
後に真狩村教育長、村史執筆者として知られる。







35
歌碑・八洲秀章  住 所
(所在地)
字社 年代 平成3年
所在地は羊蹄山自然公園内。

「八洲秀章顕彰音楽碑」
平成3年10月13日に建立。

御影石を使用した高さ2mの碑で、「あざみの歌」の楽譜・歌詞が掘り込まれており「歌碑」と呼ばれている。

八洲秀章氏のサインが刻字されている。







36
金比羅宮  住 所
(所在地)
字社 年代
羊蹄山南登山口の樹木園内にあって、
登山者の参拝や安全祈願が行われていた
が、昭和58年6月 羊蹄山自然公園内に改築移転されて今日に至っている。

お祭は7月9日~10日とされている。










37
歌碑・石村北泉  住 所
(所在地)
字社 年代 昭和63年

所在地は羊蹄山自然公園内。

昭和63年10月建立。

碑文 “わが命つぐはみどりの樹にしかず老いを託して松の種子まく”

石村芳吉氏の歌碑で木を愛する農民歌人らしい名句である。

氏は澱粉工場の改良、緑肥菜種の創始者で、農協理事、森林組合理事をはじめ、多くの公職を歴任して農場振興に寄与された。晩年、オンコ、桂の幼木などを育成して、無料で提供された。








38
真狩神社  住 所
(所在地)
字社 年代 明治29年

明治29年8月、開拓者が祀宇を建て、八幡大神を祭祀したのがこの神社の起源で、大正8年社殿及び社務所を新築した。

主祭神は弾琴八幡大神、神霊興田別命、大己貴命、少名彦命、倉荷魂命、菅原道実公で、札幌神社分霊ほか5大神を合祀している。

昭和30年神殿、社務所の改築改修が行われた。
 
宮司初代、手塚千代吉、二代森満治郎、三代森巌である。







39
真狩神社改修
記念碑
 住 所
(所在地)
字社 年代 昭和30年
昭和30年に真狩人神社造営改修奉賛会(田端広会長)が設立されて、拝殿外の改築改修工事が行われた記念碑で、真狩神社境内である。

昭和30年9月14日建立と刻字されている。







40
出雲神社  住 所
(所在地)
字泉 年代 明治末年頃
出雲大社の分神が祭祀されている。お祭は7月26~27日。

大正から昭和初期にかけて「出雲講」があって会費の中から毎年、出雲大社に参詣する者に旅費がおくられていたという。

当初泉水源地東南の高台に神社を建立したが、地区の中心でもある道々の北側に移転し、更に道路改修工事のため3度移設された。

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41
地神宮  住 所
(所在地)
字泉 年代 昭和4年
春には農作物の農作を願い、秋には豊かな稔りを神撰に供えて感謝するため創建されたという。

昭和4年9月20日(創建の日)と刻字されている。








42
自作創設記念碑  住 所
(所在地)
字泉 年代 昭和15年
碑文 “本農場へ小樽市富岡町三丁目平井清一氏が10数年ノ久シキニ
  亘リテノ所有ナリシガ、今次~


昭和15年6月10日建立と刻字されている。










43
八洲秀章
誕生の地
 住 所
(所在地)
字泉 年代 平成20年

作曲家八洲秀章(本名鈴木義光)の功績を讃えたもの。

村歌、村内各小学校の校歌、真狩祝太鼓の楽譜指導などに献身的な貢献をされている。 
真狩村文化功労者。

碑文 “やすらぎと憩いの大地 ふるさとの山を仰げば 涙あふるる ”

八洲秀章誕生の地 大正四年(1915年)六月二日生。
    
あざみの歌、さくら貝の歌、マリモの歌、山のけむり、交響詩「開拓者」等を作曲と刻字されている。







44
柏木神社  住 所
(所在地)
字共明 年代
共明地区にあって、香川県の柏木神社の分神を奉載してきたといわれる。

明治の頃より毎年1月7日に、この神社で「柏木講」が開かれていたという。

昭和63年に改築され今日に至っている。
お祭は8月7日とされている。







45
地神宮  住 所
(所在地)
字共明 年代 大正3年
大正甲寅3年3月と刻字されており、創建の月日である。








46
地神碑  住 所
(所在地)
字共明 年代 昭和21年
昭和21年春祭健とあり、祭神は天照大神、大己貴命、倉稲魂命、埴援安命、少名彦命。

地区の地形上、2箇所で建設されたと思われる。建立者は宇田純、堀越信、野村弘、佐々木花太郎、金丸鉄男、野村好雄、山野平太郎、秋口藤四郎、清水勇と刻字されている。










47
地神碑  住 所
(所在地)
字光 年代 昭和27年
昭和27年9月19日建立されたもので、奉納台石白井優とある。

祭神は天照大神、少彦名大神、大貴己大神、埴安姫大神、稲倉魂大神と刻字されている。







48
地神宮  住 所
(所在地)
字光 年代 大正6年
大正6年3月に建立されており、地神さん
のことで光地区は地形状、東部、西部に
それぞれ集会所があり、地神碑も2箇所に祭祀された。








49
農機顕頌之碑  住 所
(所在地)
字光 年代 昭和36年
谷岡寿男氏は伊達の小西農機で業を修め、昭和5年本村に工場を建設。「寿プラウ」の普及に努め、昭和11年に十勝で耕起実演天覧の光栄に浴し、同17年商工省推薦により、満州札蘭屯で農機を普及し、昭和21年万能トラクター高畦栽培機を考案するなど、農業の振興に寄与された功績を顕彰して、発起人藤川清助外10名により昭和36年11月23日に建立された。
題字 北海道知事 町村金五
撰文 神山安雄
讃碑の刻字 農機の碑薯の秋より真輝く  汀花(新田茂一)







50
故北海道麓道路工夫野村彌太郎之碑  住 所
(所在地)
字光 年代 大正13年
大正13年12月25日道々456号線(現在の岩内洞爺線)の工事中殉職した北海道庁道路工夫野村彌太郎之碑と刻字されている。

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51
真言院  住 所
(所在地)
字真狩 年代 明治37年 

宗派、高野山真言宗、寺号公称 
大正8年11月28日。

明治37年、現見晴に真言宗高野山派説教所を開設し、竜岡亭覚師が布教に始まり、明治40年佐藤高繁師が着任して開祖となる。

明治42年市街地に移転。大正6年本堂を改築。昭和62年北海道13佛霊場第9番札所となる。平成3年に庫裡、平成4年に客殿を増改築。

開祖佐藤高繁、二代佐藤高英、三代佐藤隆英。









52
馬頭観世音  住 所
(所在地)
字真狩 年代 大正3年

馬の守護神として江戸時代より広く信仰されたが、本村でも開拓の初めから農耕や運搬、交通に用いられ大きな役割を果たしてきた。

その馬が作業中に怪我や病気で倒れたのを供養するため村内各所に碑が建てたれている。

碑は大正3年に建立されたもので、小川捨三郎ほか17名が刻字されており、昭和33年に改修された。

平成16年真言院前庭にあったものを、墓地入り口に移転。







53
聖源寺  住 所
(所在地)
字真狩 年代 明治39年
真宗大谷派
寺号公称 大正3年5月1日。
明治39年字知来別に説教所を創設し、
同42年市街地に移転改築し、大正8年本堂及び庫裡を落成した。

開祖、片岡源了、二代片岡滋恩、三代西川観世、四代田代勝太郎。









54
徳成寺  住 所
(所在地)
字真狩 年代 明治36年

真宗興正派 寺号公称 昭和22年7月。
明治36年洞爺村佐長得浄師が稲田諦浄師を嘱して、共明稲田山ふもとに草庵を建て、開教に着手。

明治末期に市街地に移転、大正12年説教所となり昭和12年には堂宇を改築して現在地に移転。

昭和50年に納骨堂を新築以来庫裡対面所等増改築して現在に至る。

開祖佐長得了、二代佐長文雄、副住職佐長得幸。









55
真龍寺  住 所
(所在地)
字真狩 年代 明治29年

真宗本願寺派。
寺号公称 明治37年10月11日。

明治28年洞爺村佐々木哲夫師の伝道に始まり、同29年説教所を開設。

松枝龍音師が着任して開基となる。

大正5年鐘撰建立、大正7年本堂改築、昭和5年および昭和61年に庫裡、納骨堂、対面所を増改築して現在に至る。

開基、松枝龍音、二世松枝龍道、三世松枝主丸、四世松枝隆生









56
自学の塔  住 所
(所在地)
字真狩 年代 昭和35年
昭和53年8月真狩小学校開校80周年記念事業として建立されたもので真狩村および同窓生の篤志寄付金によるものである。

刻字には次のように記されている。
1、 わが学びここに在り
1、 わが朋ここに在り
1、 わが志ここに始まらん









57
報徳の像  住 所
(所在地)
字真狩 年代 昭和3年
昭和3年真狩小学校の改築移転記念として建立されたが、昭和52年新校舎落成と開校80周年記念事業として改装し、
今日に至っている。







58
開拓の碑  住 所
(所在地)
字真狩 年代 昭和50年
この碑は開村80年記念事業として記念公園(現パークゴルフ場)の造成とともに建立されたもので、千古の密林を開拓した先人の苦労を讃えようとするもの。

レリーフは馬鈴薯づくりに闘魂を傾けた逞しい青年男女の姿、そして水車を表現しており、建設費は全村民を始め道内外在住本村出身
者の寄付金によるもので極めて意義深いものがある。








59
忠魂碑  住 所
(所在地)
字真狩 年代 昭和50年

忠魂碑は大正の始め真狩神社の境内に建立されたが、昭和3年真狩小学校移転跡地に御保内忠魂碑を合祀して移設された。次いで昭和24年総合グランドの竣工に伴い、この地に移転。

昭和55年6月、80周年記念公園に移設され今日に至っている。

戦没者100柱が祀られている。









60
忠魂碑寄付者
記念碑
 住 所
(所在地)
字真狩 年代 大正初年頃
忠魂碑建立高額寄付者(20円以上)藤川治平外22名と女子青年団、 真狩別村、真狩別在郷軍人会建立と刻字されている。

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61
公徳碑  住 所
(所在地)
字真狩 年代 昭和35年
碑文
明治18年香川県那?郡象郷に生まれ、
明治32年本村に転住し農業に従事す。
               青年時代より~

発起人 真狩村、真狩村農業協同組合、共栄建設工業株式会社有志一同
昭和35年10月建立と刻字されている。

 題字 北海道知事 町村金五
 公徳 大西左源太







62
記念碑  住 所
(所在地)
字真狩 年代
大上譲氏の記念碑で、大正6年広島市より本村居住、農業に従事、村議会議員47年間、教育委員、初代社会福祉協議会長など多くの公職を歴任し、地方自治の発展に貢献された。

昭和50年名誉村民となる。
真狩村有志一同と刻字されている。