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見る・遊ぶ・学ぶ

【お問い合わせ先】 総務企画課商工観光係  電話 0136-45-3613

見る・学ぶ・遊ぶ

  • まっかり温泉、道の駅真狩フラワーセンター、真狩川河川公園、ふれあい広場パークゴルフコース、マヌカン・ピス広場、スノーモービルランド
  • 羊蹄山自然公園、真狩樹木園、桂並木、羊蹄山の湧水
  • ユリ園、フラワーロード、真狩神社の桜並木
  • 八洲秀章、細川たかし、名犬ポチ

八洲秀章

「あざみの歌」「さくら貝の歌」「毬藻の歌」等のヒット曲で知られ、日本レコード大賞童謡賞や勲四等瑞宝賞叙勲など、輝かしい功績を残した作曲家・八洲秀章氏は真狩村の出身です。(本名:鈴木義光、大正4年6月2日生まれ)真狩村村歌、村内小学校の校歌の作曲、真狩祝太鼓の楽譜指導など献身的な貢献をされ、真狩村文化功労者でもあります。故郷の誇りでもある氏の偉業を讃え、音楽碑、生誕の地碑が建立されています。
また、真狩村では、八洲氏の生涯を綴った「さくら貝の歌」を販売しています。

役場から定時に流れる音楽は、八洲秀章氏の曲です。
午前6時 あざみの歌、正午 山のけむり、午後9時 毬藻の歌 
(午後6時は夕焼け小焼けです)

  • 八洲氏顔写真

八洲秀章顕彰音楽碑

御影石を使用した高さ2mの碑で、平成3年10月13日に建立されました。「あざみの歌」の楽譜・歌詞、八洲秀章氏のサインが刻まれています。

所在地/ 真狩村字社 羊蹄山自然公園内

八洲秀章生誕の地碑

八洲秀章氏生家跡近くの羊蹄山を望む場所に、平成20年10月12日に建立されました。
碑には次のように刻まれています。
"やすらぎと憩いの大地 ふるさとの山を仰げば 涙あふるる
"八洲秀章誕生の地 大正四年(1915年)六月二日生
あざみの歌、さくら貝の歌、マリモの歌、山のけむり、交響詩「開拓者」等を作曲

所在地/ 真狩村字泉

まっかり史跡マップ

「さくら貝の歌」

「さくら貝の歌」~作曲家 八洲秀章の生涯~

八洲メロディーの原点がここに・・・

戦後焼け野原に流れる静かなメロディーは、
喪心した人々に沁み入っていった・・・。
「あざみの歌」、「山のけむり」、「さくら貝の歌」など歌謡史に残る名曲を残した孤高の作曲家八洲秀章。
蝦夷富士「羊蹄」を背に野山を走り回った少年時代。小さな農家に生まれたこの少年が、身体のハンディを負いながらも独学で音楽の世界に飛び込んでいった。

定価 1冊 3,000円(税込) A5版 431ページ

さくら貝の歌

【お問い合わせ】
  真狩村役場 総務企画課企画調整係にて取り扱っておりますのでご連絡ください。
  TEL0136-45-3613  FAX0136-45-3162
 
【代金の納入先】
 ◎郵便振替  加入者名  真狩村会計管理者
          口座番号  02790-4-12800 
 
 ◎銀行振込  北海信用金庫真狩支店
           口座名 真狩村会計管理者 小野塚聖徳
           口座番号  普通114821
※銀行振込の場合は、事前に送付先住所、氏名、電話番号を必ずご連絡ください。

 【注意事項】

 ・送料については着払いとさせていただきます。(着払い1冊350円)

 ・商品の発送は入金後、直ちに行いますが時間がかかる場合もあります。   

 

細川たかし

細川たかし氏は真狩村出身です。
昭和50年に「心のこり」でデビューし各新人賞を受賞、昭和57年「北酒場」、翌年「矢切の渡し」と ヒット曲を連発し、日本レコード大賞を2年連続受賞し、現在も活躍し続けている国民的演歌歌手です。昭和55年には村民栄誉賞を受賞しています。
ここ、真狩村には出身地ならではの縁のスポットがたくさんあります。

細川たかし公式ホームページ

細川たかし記念像

平成6年の真狩村開基100年の際に建立されました。
細川たかし氏のメッセージと、代表曲4曲を高らかに歌い上げます。曲目は、現地でお確かめください。

所在地/ 真狩村字真狩 真狩川河川公園内

 

※冬期間は歌いません

・像の高さは細川たかし氏の身長である173cm、台座と像を合わせた高さは約3mです。

細川たかしを讃える碑

細川たかし氏の生家跡近くに建てられた碑です。
昭和61年に、真狩後援会が中心になって建立したもので、「心のこり」「北酒場」「矢切の渡し」などが刻字されています。

所在地/ 真狩村字桜川160-2 知来別克雪管理センター敷地内

まっかり史跡マップ

道の駅真狩フラワーセンター内細川たかし氏展示コーナー

ステージ衣装や台本、レコードなどが多数展示されています。

所在地/ 真狩村字光8-3 道の駅真狩フラワーセンター内

道の駅真狩フラワーセンター

名犬ポチ

大正7年1月16日夕方から17日早朝にかけて、真狩村で本当にあったお話です。真狩別郵便局の村上政太郎局長が猛吹雪の中、電報配達に出掛け、殉職するという痛ましい事故が起こりました。雪中に倒れた彼を体温で温めながら、その最期を看取ったのは彼の愛犬・ポチ。当時、新聞では「忠犬」として大きく報道され、多くの人々の感動と涙を誘いました。その後、札幌の児童福祉施設「報恩学園」に迎えられたポチは、晩年を子供たちとともに過ごし、死後は剥製にされて東京逓信博物館に展示されていました。ポチの"里帰り"は、1987(昭和62)年秋、「忠犬ポチ」の物語を紙芝居にして再びスポットライトをあてた真狩高校の生徒たちが、修学旅行中に博物館を訪れ、実物と対面したのがきっかけで実現したもの。翌年、69年ぶりに故郷に帰ったポチを局長夫人の村上せつさんが目を潤ませながら迎えました。現在でも、ポチのお話に感動した子どもたちが、ポチに会いたいと村を訪れます。

紙芝居「局長さんとポチ」

真狩高校生が作成した紙芝居です。今もおはなし会などで使用され、真狩の子どもたちに語り継がれています。

これは、大正7年1月16日夕方から17日早朝にかけて真狩村で本当にあったお話です。
北海道のマッカリだけのふもとの真狩別郵便局にポチという犬がいました。
局長の村上政太郎さんの犬で7才。赤毛のめす犬で、たいへん利口でした。
「ポチ、電報を配達に行くよ。一緒においで。」
局長さんは、ポチを連れて、出かけました。配達先は、4キロも離れた所です。
電報を届けた帰り道、猛烈な吹雪になりました。
みるみるうちに、雪がふりつもります。局長さんは、ハーハー言って歩きました。
家まで、あと1キロほどのところに来ると、雪は腰のあたりまで積もりました。
足をとられて、歩くに、とても力がいります。
局長さんは、疲れと寒さで倒れてしまいました。
ポチは、局長さんのそばに、ぴったり寄りそいました。
あたためようと思ったのです。
守ろうと思ったのです。
しばらくすると、ポチはとびおきて、家へ走りました。
ポチが、いくらほえても、家の人は出てきません。戸を足の爪でひっかいたり、家の周りをほえながら走りまわったりしました。でも誰も気づいてくれません。
ポチは、悲しそうに「クーン」となくと、また、局長さんのところに、走ってもどりました。
犬のほえる声が、聞こえるような気がしました。
「ポチじゃないかな...。」
「まさか。この吹雪の中をポチだって歩けないよ」
と、話し合っていました。
ポチは、局長さんをそっとかんで、起こそうとしましたが、だめでした。
ちょっとの間、考えていたポチは、いっさんに、郵便局めざして、走り出しました。
そのころ、郵便局では、こんな話をしていました。
「局長さんは、この吹雪じゃ帰ってこないよ。」
「向こうに泊めてもらっているだろうね。」
郵便局の人は、もう眠っていました。
ポチは気が狂ったように、ほえ続けましたが、誰も起きてはきません。ポチは、また局長さんのところへ...。
次の日の朝。配達先の村に、局長さんが泊まっていないことを知った郵便局の人は、あわてました。
村の人を集めて、深い雪の中を探しに出かけました。
「あっポチ、ポチがいるぞ!」
ポチはその声を聞いて、さっと起き上がりました。が、すぐにまた、局長さんのそばに座り、顔をなめはじめました。
村上局長さんは、寒さのために、死んでしまったのです。
「ポチ...。おまえは、局長さんを守っていたんだね...。」
皆が目に涙をためていました。
ポチは全力を尽くして、自分の主人を守ろうとしたのでした。
今から84年前の話です。

「郵便犬ポチの一生」

ハート出版から出版されています。小学校中学年以上向きで読みやすく、詳しく書かれています。

ポチの剥製

東京逓信博物館から里帰りしたポチは、現在は真狩村公民館にて展示されています。
関連の資料とともにご覧になることができます。

所在地/ 真狩村字光4 真狩村公民館内
  • poti.jpg

村上局長の墓碑

真龍寺にある村上政太郎局長の墓碑に、亡くなった経緯が刻まれています。

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